湘南のお地蔵様 しらすがわ地蔵
今回のお地蔵さまは、前回の砂坂地蔵と同じお堂の中に隣り合って祀られる「しらすがわ地蔵」である。
今回のお地蔵さまは、前回の砂坂地蔵と同じお堂の中に隣り合って祀られる「しらすがわ地蔵」である。
続・湘南のお地蔵さま(44)『しらすがわ地蔵』
2020年8月8日 (江ノ電沿線新聞)
『しらすがわ地蔵』
横須賀市 大津 中島淳一
横須賀市 大津 中島淳一
今回登場するお地蔵さまは、前回紹介した砂坂地蔵と同じお堂の中に隣り合って祀られる「しらすがわ地蔵」である。説明板には「近くにあった白須川の川原を家屋新築のため掘ったところ、鍬先が当ってこの地蔵尊が発掘された」とその由来が書かれている。
右手に錫杖左手に宝珠を持つ通例の姿と思われるが、お首には修理の痕もあり、発見された状況と併せ考えてもだいぶ波乱万丈な道を歩んできたようである。
お堂の少し先に大正十五年に造られた石造りの小さな橋「砂坂橋」の欄干部分だけが残されている。意識しないと行き過ぎてしまうが、ここに川(今は暗渠)があったことを物語る。これが白須川だったのであろうか。
このお堂の前の道(浦賀道)は昔からの要路で、近世以降江戸湾(東京湾)防備や軍事目的などで重要視された。あの浮世絵師歌川(安藤)広重も、この道を通り作品を残している。またこの道に沿って横須賀の水道のルーツともいえる水道管が明治初期に埋設された。これは海軍の横須賀造船所に、約七キロ先の走水水源から送水するための重要なものであった。
横須賀の町が軍都として成長していくことを、お地蔵さまはどんな気持ちで見ていたのだろうか。
右手に錫杖左手に宝珠を持つ通例の姿と思われるが、お首には修理の痕もあり、発見された状況と併せ考えてもだいぶ波乱万丈な道を歩んできたようである。
お堂の少し先に大正十五年に造られた石造りの小さな橋「砂坂橋」の欄干部分だけが残されている。意識しないと行き過ぎてしまうが、ここに川(今は暗渠)があったことを物語る。これが白須川だったのであろうか。
このお堂の前の道(浦賀道)は昔からの要路で、近世以降江戸湾(東京湾)防備や軍事目的などで重要視された。あの浮世絵師歌川(安藤)広重も、この道を通り作品を残している。またこの道に沿って横須賀の水道のルーツともいえる水道管が明治初期に埋設された。これは海軍の横須賀造船所に、約七キロ先の走水水源から送水するための重要なものであった。
横須賀の町が軍都として成長していくことを、お地蔵さまはどんな気持ちで見ていたのだろうか。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年8月8日