ぶらり旧東海道戸塚・藤沢を歩くぶらり旧東海道の史跡を眺めながら 戸塚から辻堂まで歩きます。戸塚宿 江戸方見附跡に近い柏尾川の吉田大橋に広重 浮世絵の案内板が表示されてます。
ぶらり旧東海道 戸塚・藤沢を歩く
2020年9月08日 (eguchi)
東海道五十三次「戸塚宿」は日本橋から5番目の宿場町で、日本橋からは10里半(約42km)、朝江戸を出発してその日の宿泊地として手頃な距離にあり、さらに鎌倉への道、大山参詣の道への宿として大きな賑わいをみせていたそうです。江戸方見附跡に近い柏尾川の吉田大橋には歌川広重 浮世絵「戸塚元町別道」の案内板が表示されてます。「こめや」の看板が目立つ茶屋は、米で作った餅菓子で有名な店でした。中央に描かれている灯篭脇の石柱には「左りかまくら道」と彫られ、鎌倉へ行く分かれ道を示しています。
ぶらり「戸塚宿」から「藤沢宿」「辻堂」へと旧東海道に沿って史跡を眺めながら歩いてみました。横浜市の西端にあたる「戸塚宿」は今や大都会 ・・・蒸し暑い旧東海道を黙々と「藤沢宿」へと歩いて向かう!
ぶらり「戸塚宿」から「藤沢宿」「辻堂」へと旧東海道に沿って史跡を眺めながら歩いてみました。横浜市の西端にあたる「戸塚宿」は今や大都会 ・・・蒸し暑い旧東海道を黙々と「藤沢宿」へと歩いて向かう!
江戸方見附跡近く柏尾川の吉田大橋にある歌川広重の浮世絵「戸塚元町別道」の案内板
JR戸塚駅から5分ほど歩くとイーオンの前に戸塚宿の出入り口となる「江戸方見付」跡(吉田町876)がある。そこから「上方見付」迄の間の2.2kmが戸塚宿と呼ばれ、江戸日本橋から数えて5番目から42km、相模国に 入って最初の宿場として栄えた。
江戸時代、鎌倉は鰹の産地として知られ、俳聖松尾芭蕉も「鎌倉に 生きて出でけん 初鰹」という句を残しています。戸塚区富塚八幡宮にあった句碑
鉄砲宿は、俣野別邸庭園の最寄りのバス停や交差点の名称に使われています。入り鉄砲が調べられた所。江戸に持ち込まれる鉄炮(「入鉄炮」)を取り締まる。そこから何かしら旧東海道の面影を感じられる、ゆっくりとした長い下り坂が続き遊行寺方面に向かう。
藤沢市の一里塚跡は2か所あります。江戸から数えて12番目「12里は約44km」の一里塚跡が遊行寺坂、13番目が辻堂の四ツ谷一里塚跡です。
東海道の6番目宿場の出入口には、見附(みつけ)と呼ばれる構造物があった。江戸側の出入口にあるものを江戸見附、京(上方)側にあるものを上方見附と呼んでいた。藤沢宿は遊行寺(清浄光寺)の門前町で発展した、宿場の人数4089人、家数919軒、本陣1、脇本陣2軒、旅籠が45軒あった。
源義経公をお祀りする白旗神社。奥州平泉で自刃した源義経を祭神として祀ったことから、白旗神社と呼ばれるようになった。
白旗神社の名を取ったのでしょうか白旗交差点というのが近くにあり、その近くで一休みし、更に西に向い歩き本日の目的地 辻堂駅前のテラスモール湘南に無事到着しました。そこには旧東海道の風情とは大きく異なる世界が開けていました。 約2万5千歩きました。次は茅ヶ崎・大磯を目指します。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年9月1日