ぶらり 明治記念大磯庭園を歩く明治記念大磯庭園は旧大隈重信別邸庭園及び陸奥宗光別邸跡庭園の一部を公開致しました。
ぶらり横浜人 明治記念大磯庭園をあるく
2020年11月4日 (eguchi)
明治維新後に政府で要職を務めまた早稲田大学の創始者であり、初代総長を勤めた大隈重信の別邸、第2次伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった陸奥 宗光など明治期の元勲たちの旧邸宅が集う「明治記念大磯邸園」。大磯駅から15分(約1Km)
明治期の元勲たちの旧邸宅が集う「明治記念大磯邸園」
●旧大隈重信別邸
大隈重信は 明治31年、憲政党を結成し、総理大臣として日本初の政党内閣を組織
・早稲田大学の前身となる東京専門学校の創立者(明治15年創立)
・政党内閣を立ち上げる前年の明治30年に大磯に別邸を建築
家屋は一部増改築がされているが、庭に面する住居部分はほぼ往時のままで歴史的遺産として保存されています。
・早稲田大学の前身となる東京専門学校の創立者(明治15年創立)
・政党内閣を立ち上げる前年の明治30年に大磯に別邸を建築
家屋は一部増改築がされているが、庭に面する住居部分はほぼ往時のままで歴史的遺産として保存されています。
中庭を挟んだ東の棟は神代の間と呼ばれ、大隈の書斎として使われていました。
大隈重信が大磯に別荘を構えたのは明治30年のことでした。
大隈重信は大磯でもたびたび宴会を開きました。16帖の富士の間と隣の10畳をつないだ大宴会だったようです。
旧大隈重信別邸 案内
●陸奥宗光別邸跡
陸奥 宗光は、日本の武士(紀州藩士)、外交官、政治家。明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えた。また、カミソリ大臣と呼ばれ、第2次伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。結核が再発し、明治29に構えた別邸で療養生活を送りました。
陸奥宗光邸跡は数寄屋造りの建物。
陸奥宗光邸跡 案内
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年11月6日