湘南のお地蔵さま 玉椿地蔵海老名駅よりバスに乗り椿地蔵で下車。小さな境内地を持つお堂があり、堂内に二体のお地蔵さまが祀られる。左側の像が玉椿地蔵。
湘南のお地蔵さま『玉椿地蔵』
2021年10月08日 (江ノ電沿線新聞)
続・湘南のお地蔵さま(58)中島淳一 『玉椿地蔵』 海老名市 杉久保南
海老名駅よりバスに乗り椿地蔵で下車。バス停反対側に小さな境内地を持つお堂があり、堂内に二体のお地蔵さまが祀られる。その左側の像が玉椿地蔵で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち江戸時代の元禄五年(一六九二)造立の銘を刻む舟形の光背を付ける。
またこの地蔵堂に寄り添うように大きな椿の古木が植えられ、市の天然記念物に指定されるが、この木とお地蔵さまの名前を結びつける三百年以上前の悲しい話が今に伝わる。
江戸時代の初め頃、ある武家の母娘が娘の病気治癒のためこの地に居る幕府の御典医半井驢庵(なからいろあん)を訪ねる寸前で娘は病のため亡くなった。村人たちの助力を得て亡骸を近くの寺に葬り、供養のため地蔵尊を建立し椿の枝を手向けた。その椿が根付いて成長し蕾を持ったが、何故か花が咲く前に皆落ちてしまう。村人たちはこの不思議な現象を、若くして花咲くことなく亡くなった悲運な娘の人生と重ね合わせ「玉椿」の名を地蔵につけたと伝わる。
私が初めてこの地を訪れた時にも乳児を抱いた若い母親がお参りに来ていた。子育てにもご利益があるというこの地蔵の信仰は、いつか美しい花を咲かせるだろう。
またこの地蔵堂に寄り添うように大きな椿の古木が植えられ、市の天然記念物に指定されるが、この木とお地蔵さまの名前を結びつける三百年以上前の悲しい話が今に伝わる。
江戸時代の初め頃、ある武家の母娘が娘の病気治癒のためこの地に居る幕府の御典医半井驢庵(なからいろあん)を訪ねる寸前で娘は病のため亡くなった。村人たちの助力を得て亡骸を近くの寺に葬り、供養のため地蔵尊を建立し椿の枝を手向けた。その椿が根付いて成長し蕾を持ったが、何故か花が咲く前に皆落ちてしまう。村人たちはこの不思議な現象を、若くして花咲くことなく亡くなった悲運な娘の人生と重ね合わせ「玉椿」の名を地蔵につけたと伝わる。
私が初めてこの地を訪れた時にも乳児を抱いた若い母親がお参りに来ていた。子育てにもご利益があるというこの地蔵の信仰は、いつか美しい花を咲かせるだろう。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2021年10月07日