ぶらり 明治辻堂や大庭の一帯は明治22年の市町村制施行時に高座郡明治村となりましたが、明治41年には当時の藤沢町に編入されました。
ぶらり 明治
2022年5月16日 (B.Stone)
辻堂や大庭の一帯は明治22年の市町村制施行時に高座郡明治村となりましたが、明治41年には当時の藤沢町に編入されました。現在の明治地区は北が藤沢バイパス付近、東が引地川、南が東海道線となっており、昔の明治村の一部にあたります。畑や梅林の広がるのどかな所でしたが、湘南C-Xの開発によって、近年、大きな変貌を遂げました。
高層住宅が建ち並ぶ辻堂駅の北口付近です。この道を北上すると、大庭トンネルを抜けて湘南ライフタウンに繋がります。
かつて関東特殊製鋼の広大な工場があった辻堂駅北口を再開発し、平成21年にオープンした湘南C-Xです。商業施設、病院、公園などがあります。
かつての東海道と大山道の分岐点には、今でも不動尊像と鳥居があります。江戸時代には、この辺りに茶店や宿屋もあって、賑わっていたそうです。
幕末の儒学者、小笠原東陽が明治5年に開いた郷学校、耕余塾の跡です。吉田茂もここで学ぶなど、高い評価を受けた私塾でした。
近く解体が予定されている国登録有形文化財の旧三觜八郎右衛門家住宅です。明治11年に建てられ、二階座敷を持つ極めて初期の例と言われています。
参考:藤沢の地名 日本地名研究所編 発行/藤沢市
藤沢市ホームページ、ウィキペディア
藤沢市ホームページ、ウィキペディア
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年05月16日