徳川氏の先祖と遊行上人
歴史探訪(35)遊行寺の宇賀神に、室町時代、徳川氏の先祖が上野国から三河国へ逃れてくる過程で、遊行上人の援助を得たという伝承 があります。
歴史探訪(35)遊行寺の宇賀神に、室町時代、徳川氏の先祖が上野国から三河国へ逃れてくる過程で、遊行上人の援助を得たという伝承 があります。
歴史探訪(35) 遊行寺の「宇賀神」
-徳川氏の先祖と遊行上人-
2023年1月13日 (itazu)
遊行寺境内の宇賀神入口
徳川氏の先祖が遊行上人の援助を得る
浄土宗の一遍を開祖とする時宗には、室町時代に徳川氏の先祖が上野国から三河国へ逃れてくる過程で、遊行上人の援助を得たという伝承があります。
この伝承を伝えているのが遊行寺にある宇賀神です。
宇賀神とは、福徳をもたらす食物神、農業神で、幸福、利益、知恵、財力の神、弁財天とも同一されます。宝冠に白蛇があるのが特長です。因みに、江の島の八臂弁才天は、福徳の神としての最古の宇賀弁才天です。
遊行寺の宇賀神には、「開運招福弁財天」と書かれています。(写真左)
案内書には
案内書には
宇賀神
「遊行寺の宇賀神は、徳川家の祖先、得川有親(ありちか)公の守り本尊といわれ、有親公は、遊行12代尊観(そんかん)法親王(出家した皇子)の弟子となり、名を徳阿弥(とくあみ)と改めました。応永三年(1369)徳阿弥は、宇賀神に子孫繁栄を請い自筆の願文を添えて当山に勧請しました。」と書かれています。
「徳阿弥」は還俗して「松平親氏」に
得川有親は、清和源氏・新田氏の流れをくむといわれ、室町時代、南朝に加担したため不遇の身となり、「徳阿弥」という時宗の僧となり諸国を遍歴していました。人生の転機となったのは、三河国松平郷の裕福な松平家の一人娘に婿入りし跡取りになり、徳阿弥は還俗して「松平親氏」と名乗ります。家康が誕生する8代前です。
宇賀神説明板
家康が「松平」から「徳川」へと改称
家康が三河を統一して、「松平」から「徳川」へと改称しますが、この時、家康は家系図を改編したといわれます。関ケ原の戦いに勝利した家康は、征夷大将軍に任じられますが、武士の間には、武士のトップには源氏の血統が就くという不文律がありました。そこで、家康は、松平の祖先が「得川」(徳川)姓で清和源氏・新田氏の流れをくむと主張したといわれます。
家康が三河を統一して、「松平」から「徳川」へと改称しますが、この時、家康は家系図を改編したといわれます。関ケ原の戦いに勝利した家康は、征夷大将軍に任じられますが、武士の間には、武士のトップには源氏の血統が就くという不文律がありました。そこで、家康は、松平の祖先が「得川」(徳川)姓で清和源氏・新田氏の流れをくむと主張したといわれます。
「得川(徳川)」の系譜にはあいまいなところがあり出自を示す明確な証拠がなかったようですが、こうした官位を得るための家系図の改竄は、戦国大名としては珍しいことではなかったようです。
参考資料:ウィキペディア、図解日本史」(西東社編)他
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2023年1月13日