家康に招かれた善行の僧
歴史探訪(40) 徳川家康に招かれた善行の僧: 幡随意上人を紹介します。
歴史探訪(40) 徳川家康に招かれた善行の僧: 幡随意上人を紹介します。
歴史探訪(40)
徳川家康に招かれた善行の僧: 幡随意上人
2023年6月14 (itazu)
番隨意上人生家と善行寺跡
浄土宗の四哲
ジュニア版藤沢市史「藤沢のいま・むかし」に「徳川家康に招かれた善行の僧」が紹介されています。
その善行の僧とは、善行の松本家の出身の幡随意上人で、徳川家康に招かれ,江戸神田駿河台に幡随院を創建しています。
上人の生家は、現在、善行の「幡随院」と呼ばれ、邸内には上人の産湯井戸が残りお堂が建てられています。
ジュニア版藤沢市史「藤沢のいま・むかし」に「徳川家康に招かれた善行の僧」が紹介されています。
その善行の僧とは、善行の松本家の出身の幡随意上人で、徳川家康に招かれ,江戸神田駿河台に幡随院を創建しています。
上人の生家は、現在、善行の「幡随院」と呼ばれ、邸内には上人の産湯井戸が残りお堂が建てられています。
幡随意上人は、村岡の二伝寺(光明寺末寺)で出家し、鎌倉の光明寺で修業し、川越の蓮聲寺(れんけいじ)の存貞(ぞんてい)(注)の弟子となり、同じく存貞の弟子だった存応(ぞんのう)(注)などとともに浄土宗の四哲といわれています。
注)存貞とは、後北条時代、大船にある浄土宗の大長寺や川越の蓮聲寺を開山し、更に、江戸の増上寺10世になった人です。彼の弟子の存応も増上寺12世になっています。徳川家康は、この二人に深く帰依し、増上寺を徳川家の菩提寺にしたといわれます。
二伝寺の境内に上人の石碑がある
日本で初めてキリスト教徒を教化した僧
幡随意上人は、
◆1601年、家康からの依頼で、江戸の浄土宗法論(対日蓮宗)の奉行役を務め、
◆翌1602年、京都の知恩寺33世となり
◆1603年江戸で幡随院を開山しました。
◆1613年家康の命で、長崎を中心に、キリシタンを改宗するために派遣され、日本で初めてキリスト教徒を教化した僧として知られます。
善行公園にある「善行寺跡」案内板
善行寺跡と佐竹騒動
幡随意上人が生まれた善行寺村は、江戸初期以来、無くなりましたが地名だけが残りました。善行公園あたりに善行寺があったといわれます。
言い伝えだけで、文献も遺物も残っていないため幻の寺となっていますが、
「藤沢の地名」(日本地名研究所)には、
「3代将軍家光の時、遊行寺とともに常陸の佐竹藩と諮(はか)って将軍暗殺を企てたため、寺は取り潰されて僧侶は処刑されたという伝承が残っている」と書かれています。
この「佐竹騒動」も噂のみで史実とは認められていませんが、その背景を探ってみます。
遊行寺の梵鐘は、戦国時代、1513年遊行寺が焼失し、後北条氏によって小田原城の陣鐘に持ち去られていたが、江戸時代(1626年)に遊行寺へ取り戻している。市内最古の梵鐘で、市指定文化財。
◆常陸の佐竹藩と遊行寺
戦国時代、後北条と三浦の合戦で1513年遊行寺が焼失し、100年近く、再建できなかったとき、当時の遊行寺の普光(ふこう)上人(32世)が、出身地の佐竹藩から援助を受け、一時、水戸の神応寺を「藤沢山」として時宗の本山にしようとしていたことがあり、佐竹藩とは深い結びつきがありました。
戦国時代の佐竹義重、義宜親子は、関東で屈強の勇将と知られ、後北条、徳川ともに恐れる存在でした。
徳川の時代になって、佐竹藩は、徳川に疎んじられ、秋田に縮小・移封されたことから、幕府への怨恨があり、不満分子を抱えていました。
戦国時代、後北条と三浦の合戦で1513年遊行寺が焼失し、100年近く、再建できなかったとき、当時の遊行寺の普光(ふこう)上人(32世)が、出身地の佐竹藩から援助を受け、一時、水戸の神応寺を「藤沢山」として時宗の本山にしようとしていたことがあり、佐竹藩とは深い結びつきがありました。
戦国時代の佐竹義重、義宜親子は、関東で屈強の勇将と知られ、後北条、徳川ともに恐れる存在でした。
徳川の時代になって、佐竹藩は、徳川に疎んじられ、秋田に縮小・移封されたことから、幕府への怨恨があり、不満分子を抱えていました。
秀忠、家光も仮泊した藤沢御殿跡
秀忠、家光の時代に、外様大名取り潰しや厳しいキリシタンの禁制による犠牲者が多くでて、将軍を暗殺を企てるような風潮がありました。
そんな時代を背景に
佐竹藩の武士が、遊行寺の末寺であった善行寺の僧侶となり、藤沢の遊行寺隣接の御殿に家光が仮泊する機会を狙ったという話は、史実はともかく、ありうる話として、伝承されてきたのだろうと思われます。
そんな時代を背景に
佐竹藩の武士が、遊行寺の末寺であった善行寺の僧侶となり、藤沢の遊行寺隣接の御殿に家光が仮泊する機会を狙ったという話は、史実はともかく、ありうる話として、伝承されてきたのだろうと思われます。
尚、善行寺については、幡随意上人が創建された寺に「善導寺」があることから幡随意上人の創建説もあるようです。
参照資料:ジュニア版藤沢市史「藤沢のいま・むかし」、「藤沢の地名」(日本地名研究所)、「善行を知ろう」「藤沢と遊行寺」(藤沢市)、ウィキペディア他
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2023年6月14日