松田城址を訪ねて
2024年2月15日 (取材&記事:gantyan)
御殿場線の松田駅に降り立ちました。国府津駅から乗り換えると、ゴトンゴトンというレールの継ぎ目の音が心地いいんです。松田町は歴史が古く、鎌倉時代に作られた松田城の城跡が、最近クローズアップされてきました。
箱根外輪山の明神ケ岳方面を見ると、松田町の地酒中沢酒造の松美酉のマークが見えます。紹介したいのは、この建物ではなく、建物の前面にある四角い箱が並んでいる場所です。この場所は丹那トンネルが出来る前、御殿場線が東海道線だった頃から、今でいうSLが走っていました。その機関車で使われる石炭の貯蔵庫が、今でも残っているんです。
「松田城址入口」という看板から120メートル程、緩い坂を登った上のほうに城跡の看板があるとのこと。そこを登って行きました。
松田城は鎌倉時代に作られたお城だとのこと。しばらく登っていくと、このような標柱が立っていました。標柱の後ろにあるのは最近では珍しい木製のリンゴ箱。この辺はみかん畑になっていて、そのみかんを入れるための箱として使われているようです。
松田城跡に着きました。町指定の看板がありました。「松田城跡想定図」と書いてあります。
昭和四十六年四月指定 松田城跡は旗矢沢、天神沢という二つの沢を天然の要害として利用した典型的な連郭式山城である。東名高速道路の拡幅工事時に記録保存され、上・下段腰曲輪、掘建柱遺構・柵列・井戸溝状遺構 地下式壙・堀切が確認され、炭化穀物類・陶磁器類・カワラケ・鉄釘・古錢等多数が出土している。城郭として使用していた時期は十五世紀中葉から十六世紀後半で、秦野盆地から来た波多野氏の系譜である松田頼秀・憲秀の頃である。松田憲秀は小田原北条氏の筆頭家老であり、松田城はその弟新次郎康隆の持城であったとの記録が残っている。松田町教育委員会 とありました。
松田城跡想定図の拡大図です。4つの曲輪があります。
今ではミカン畑になっています。
城跡を確認して、そろそろと下に降りてくる。下る道から見える景色は素晴らしいです!
箱根外輪山の、明星ヶ岳・明神ケ岳・金時山・足柄峠や矢倉岳が見えています。川は酒匂川、清らけき流れといわれています。右側の方には、映っていないが、良い天気だと富士山の雄姿が見らます。。
帰りにはこれも昔から鎮座する「桜観音」に寄ってきました。昔からこの観音様も有名で、長谷観音寺(桜観音)といわれるそうです。なごり惜しく帰ってきました。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 ☑ 2024年02月12日