昭和の藤沢
 

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第2部 海岸地域(10/19)
3 旧・江の島海岸ロータリー(現・江の島入口交差点)

雷族
写真17(昭和36年4月)
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昭和30年頃は自転車で来る人が多かった。
32,3年頃からオートバイが増え、毎年増加していった。
当時は「雷族」と呼ばれていた。
自家用自動車は33,34年頃から毎年増加していった。場所はロータリーの片瀬橋東詰。
バスに乗る人々1
写真18(昭和39年8月)
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洗心亭(左)、磯見亭(右)前のバス乗場の状況。
手前のバスは「京浜急行」の大船駅行き。
先の三台は「江ノ電」の藤沢駅と鎌倉駅行き。
バスに乗る人々2
写真19(昭和40年8月)
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一番手前は「京浜急行」の大船駅行きや東京八重洲口行きを待つ人々。
右のバスは鎌倉駅、先のバスは藤沢駅行き。
夏の日が暮れかかる頃まで 延々とこの状態が続く日も多くあった。
横浜駅行き急行バス
写真20(昭和37年8月)
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海水浴の時期を主として、横浜駅と江の島海岸を結ぶ路線バスがこの頃活躍していた。
写真はロータリーの片瀬橋 東詰のバス乗場の看板群である。
江の島海岸発の急行横浜駅行きバス
写真21(昭和36年7月)
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横浜駅行きの急行バスは、大船以遠の横浜市内の人の利用が多かった。
海水浴日よりの好天の日には、午後3時頃から海水浴客の帰りに合わせて途切れ ることなく発車していた。
女子車掌の活躍
写真22(昭和36年7月)
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当時の乗合(路線)バスはいわゆるツーマン・バスで、車掌(女子)が必ず乗務した。
夏などの多客時には、満員 のバスの中で乗車券の発売ができないので、停留所に並んで
バスを待っているお客さんにあらかじめ乗車券を発売する方式をとっていた。

休憩中のバスの女子車掌
写真23(昭和38年7月)

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ほぼ昭和40年から乗合バスはワンマン・バスに変わったが、それ以前の乗合バスには
必ず車掌が乗務していた。
夏の炎天下、多数の車掌さん がここで乗車券の発売や案内などの仕事に従事した。
バテないように交代で休息をとりながら勤務した。
花火大会の夜
江ノ電駐車センター内に臨時に設けた辻堂駅行き乗場
写真24(昭和39年8月)
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江の島海岸ロータリーの藤沢駅行き乗場
写真25(昭和39年8月)
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毎年江の島の花火大会の夜は、バスの利用者が多いので営業所を総動員して対応した。
運転士、車掌をはじめ、各始発場所には乗客の誘導整理に当たる 人員を十分に配置して、
事故無く人々を円滑に運べるよう最大の努力をしていた。
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